高田健志は、youtube、配信サイトオープンレックで活動中のゲーム実況者で配信者だ
元ジャニーズで元芸人で元俳優という異色の経歴の持ち主の半生をここに綴る
- 高田健志は兵庫県加古川市に生まれた
- 高田健志は子どものころ芸人になりたかった
- 高田健志の中学時代
- 中学時代 ジャニーズ事務所に所属
- 高校卒業後 NSCに入学し芸人を目指す
- 高田健志、パニック障害を患う
- ゲーム実況者 蛟 の誕生 一躍人気ゲーム実況者に!
- 事務所に所属し俳優活動開始
- 高田健志が“神”になった日
- 加藤純一と絶縁し、ソロで活動
- 現在:散歩配信でプチブレーク!同接1700
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高田健志は兵庫県加古川市に生まれた
両親はどちらとも料理師免許を持っている
そのことも関係してか、他の配信者と比べても料理配信が多く腕前も良い
妹がひとりいる
4歳から15歳まで空手をやっていたが、人格が歪んだと告白するほどずっと嫌だったらしい
小学生になると力が強い訳じゃないけど経験の差で同い年くらいの子で一緒に組み手の練習する子がいなかった
だからいっつも組み手の練習は20代の人とやってた、これが地獄過ぎてホント辞めたかった
高田健志は子どものころ芸人になりたかった
小学生のころから芸人になりたかったようで
理由はワーキャー言われたかったらしい
一番好きな芸人は島田紳助
陸上は小学生のころから始めている
10歳から陸上を始める、小学生時代そこまで足は速くなかったのですが校内代表を決める50メートル走で1位になるがたまたまだと言われ1位ながら校内代表になれず
高田健志の中学時代
得意科目は数学だった
全国の同学年の学生などが受ける試験?みたいなやつでも数学だけ偏差値65以上だったのは覚えています詳しい偏差値は忘れてしまいましたが
陸上部では短距離走の選手だった
100mを11秒台で走っていたという
2年の段階で12秒台だとほぼ絶望的で
11秒7くらいの記録持ってないと安心出来ませんでした
自分はギリギリのラインだったので運良く1回だけ残れました自分と同じ学校の中にも
11秒2台が1人
11秒5台が1人
11秒7~8台が4人いて学校内でもリレーメンバーの争奪戦状態でした
中学時代 ジャニーズ事務所に所属
母が勝手に応募したジャニーズJr.の面接に見事合格!
今でこそ加古川の山Pだったと自称しているが
面接時点で山Pのことを知らなかったという
嵐のバックダンサーも務めるなどしたが
芸人になりたいという夢があったため辞める形となった
高校卒業後 NSCに入学し芸人を目指す
東洋大学附属姫路高等学校を卒業後
大阪NSCの27期生として入学
コンテストでも決勝に進出するなどしたが相方の逃亡によりコンビ解散
その後就職する
高田健志、パニック障害を患う
東大阪市でコンビニバイトをしていた頃、睡眠時間を削って遊んでいた無茶が祟って
パニック障害になってしまう
今では病状はかなり緩和したとのことだが時折その鱗片を伺わせる
ゲーム実況者 蛟 の誕生 一躍人気ゲーム実況者に!
「自分はこんなにも頑張ってるのに…」
そんなさなか、当時ニコ動のゲーム実況者として人気だった囲炉裏の実況を見て
黄色い声援を一手に受ける囲炉裏嫉妬を燃やして
ゲーム実況者として 2009年にデビュー!
実はゲームをやるようになったのは二十歳ごろからで子供の頃はスポーツ少年だった
18歳すぎて一人暮らしするまでアニメも漫画もほとんど見た事が無かった
ドラゴンボールもほとんど見た事がなくて話振られたりしても適当に合わせてるだけでほとんど内容知らない(中略)ゲームも学生時代はほとんどした事がなく
自分が今までクリアしたゲームのほとんどが一人暮らしをしだしてからです
暇潰し4 | 高田健志生放送アーカイブまとめ
ニコ動自体は、涼宮ハルヒの憂鬱の影響から見始めた
これがきっかけでアニメとかにどっぷりはまりました。おそらくこれ見てなかったらニコニコ動画自体もそこまで視聴してなかったと思うくらい影響力でかいです。
ちなみに体調を崩して入院を勧められた時、ハルヒが見たかったので入院を断りました
「ドラクエ5」や「ラクガキ王国」で何十万も再生数を伸ばすヒット作を出す
名前の由来は『無双OROCHI』で出てくる武将の蛟(みずち)を読み間違え蚊(か)と読んだことから
丁度このころ同い年でゲーム実況のうんこちゃんと会う
以後7年解散するまでコンビとして共に活動する
再生数が伸びてきた頃は実況者からメール来たらちゃんと返事しようと思ってたのですが、当時一番好きな実況者だったうんこちゃんと絡めた事により以後どの実況者にも返事を返さなくなりました
特に興味ない人と絡むのめんどくさいですし(中略)あとラジオとかに誘われても出ない決定的な理由もうんこちゃんに影響されてです
「炎上とかでお前を誘わなかったようなラジオこの後お前にも誘いが来なかったら俺は出ねぇ」
と言って最終的にラジオを断ってました
それで自分も誘われても全部断る事にしました
事務所に所属し俳優活動開始
2012年にゼルプロダクションという芸能事務所に所属
社長はクライスラーを乗り回すヤクザみたいな人だったという
事務所所属により、当時ゲーム実況自体が著作権の観点からグレーゾーンだったことから
ゲーム実況活動は取りやめに
所属に際して実名である「高田健志」で活動することに
すげぇくだらん夢を言います><
自分が俳優になって、バラエティー何かとはかけ離れた正統派俳優でドラマ映画と引っ張りだこ
ある雑誌のインタビュー中「実は昔インターネットでみずちって名前で動画を上げてまして…」
ってな話を渋い声でしたい!
テレビドラマ『半沢直樹』でもエキストラで出演するなど活躍を見せるが
このゼルプロも2014年に倒産する
高田健志が“神”になった日
相方であるうんこちゃんの配信企画 キャッチコピー選手権に投稿された作品
彼を知った一人の熱心なキリシタンは次の日聖書で尻を拭いた
このキャッチコピーが大ウケし、この企画以来現在にわたるまで過度な神格化が起こる
神としての高田健志を主題にしたコンテンツがたくさん作られるのだった
高田狂いと呼ばれるリスナーによる
ニコ生公式放送での「高田健志って偉いよなぁ!?」の連投により
いよいよ高田健志そのものがNGワードに設定されてしまった
このころから、実況界でも扱いづらい人というレッテルが暗黙のうちに張られ
自らが開催するスプラトゥーン大会も、出場を断られる
加藤純一と絶縁し、ソロで活動
加藤純一も実名を公開し、ネットタレントとして二人三脚で本格的に活動することになった二人だが
ニコニコ超会議の仕事案件で意見の食い違いが起こり
2016年、結果として絶縁に至ってしまう
現在:散歩配信でプチブレーク!同接1700
動画も6桁再生を出すようになった
まだまだこの男を見逃せない!