天塚財閥

プロブロガー目指し奮闘中!月間6万PV26歳大卒ニートの成長過程を綴る雑記ブログ

【天塚右京】人生観,人間観,金銭観,恋愛観,言語観を語る

f:id:uchan79:20190304165251p:plain

天塚右京の人生観

自ら望んで生まれてきたわけじゃない

I was bornって受け身で、自分で生を望んだんじゃない
でも、こうして生まれてしまったわけじゃないか
しかもご丁寧に衣食住に困らない国に生まれたのは、まずは国ガチャには勝ち越したのだろうか…?
いや、これは勝ち負けじゃない!
なぜ自分は生きて、そしてかくにして生きるかという哲学的な命題だ!

一冊の本になるような、人々に物語られる人生を!

なぜ人は生きるのか
その命題を自身に問いかけるひとは少なくない
“良き夫良き父親であろうとするのに精一杯です”という答も魅力的だ
問題は、同じ問いかけを人間以外の動物は疑問には思っていないだろうということだ
ただ、本能の従うままに生きているのではないか
人は、なまじ中途半端に知性があるが故にそれを問いかけてしまう
だったら、それを社会という器にそれをぶつけてみたい
社会という池に投石したら、一体どんな波紋を作るんだろう?
俺は、いつだって後世の歴史家を意識しながら行動している

ブロガーなんかになりたいわけじゃない

ブログをやっているのもそのひとつ
でも俺は、ブロガーになりたいわけじゃない
俺は、“発信と表現”がしたいのだ
この20世紀球面上に生まれ落ちたのならば、ネットを使わない手はない
だから、その一つとしてブログを選んだ

社会というキャンパスに絵を描く

自分には数多のアイデアがある
そしてそれは、社会を、世界を驚かせる自信がある!
でも自分には、それを実現されるだけの技術はない
例えるならば、だだっ広い海に一つほっぽり出された船上から
“此処に財宝が在る!”という比類ない確信を持っていながら
それをサルベージするだけの技法がない
そういう感じだろうか
そのもどかしさったらない

人間性の最高表現!

男らしさとは獲得能力に集約される
現代で言えば卑近ながら経済力だろう
だが、金や誰かの作った価値に頭を下げる生き方はしない
それは自分を蝕む最も忌むべき行為だと思うから
ブロガーやyoutuberというのは、どこまでいっても職業だが
英雄は違う
それは男性性の極北たる、一個体の人間としての最高表現たらしめる“属性”だと言えないだろうか

いつ死んでも構わないという感覚

英雄の心象風景とは、どういった境地なのだろう
それは多分、いつ死んでも構わないといった超然たる感覚なんじゃないだろうか
それは何も、別に厭世的なって、社会に絶望しているからではなくて
もし今この瞬間、心臓が止まっても一切の悔いはないという、自己肯定の究極形
きっとそれだ

あいにくそのような境地に辿り着いたとはまだ言えない
まだまだ挑戦してないこと、達成してないこと、たくさんあるから
だからまだ火星には行けないな俺は


まだまだこの星に対して、執着がありすぎるから

天塚右京の人間観

“なんで宇宙人は地球に来ないの?”“川辺の石ころに注意を向けたりする?”

ジーザスも釈尊も取るに足らない存在
エジソンもナポレオンもそうだ
皆が皆、取るに足らない人の子
人間は人間自身を過大に評価しすぎている
自然に対してのヒトではなく
自然に内包される存在として人間がいる

文化なんて地球についた苔のようなもの

人が作ってきた文化文明のごときは所詮は地球についた苔のようなものでしかない
宇宙からみたら人の作った創造物は何ら観測できない
万里の長城も宇宙からは見えない
でも俺は人が織り成してきた文化の賜物が大好きだ
もしも宇宙人がいたら、文明が興る10万年前の地球よりも
今現在の地球のほうに高く値段をつけるんじゃないか
人は地球上にあるものを足し合わせて付加価値をつけてきた
丁度砂を掘ったらケイ素が出てきたように
地球全体の時価総額はどんどん上がってきている

俺が人に緊張しない理由

俺は人が、特に人の心に大いなる関心を寄せてきた
ひいては人間の表現や創造性にも
その一方で矮小なる人間のごときという想いも混在している
だから人はあくまで人であって、誰か“えらい”風の人と会っても緊張しない達なのは
根底にそういう考えがあるからだ

天塚右京の金銭観

将来的にビリオネアになる天塚右京には“お金ってなんですか?”といった質問が絶えず問われることだろう
自分にとってお金とは何かと問われたら、何かを始めるための“材料”だと答える

お金より歴史のあるモノとは

貨幣経済が定着してものの数百年しか経っていないのに
お金というものが神のごとく振る舞っている
現代で最も成功した宗教とは、拝金教だろう
だが、お金よりも社会を構成してきた歴史あるものとは人とのつながり、つまりコネだ
タワマンに住みたいのなら稼ぐのではなく、タワマンに住んでいるひとと友達になるというやり方もある

やりたいことが先んじてある

が、その前に人は本当にお金がほしいのだろうか?
まず何かやりたいことというものが、人の行動原理として先んじてあるわけだ
ブランコを作りたいのなら、板とロープとがいる
その板とロープを入手するためにお金が必要だったりする
貨幣経済の結果として、世の中のほとんどのモノとサービスに値札がついている
ほしいのはモノやサービスであってお金はあくまで媒介の、ツールだということ
それを忘れたとき、お金に頭を下げる生き方をするようになってしまう

誰かが作った価値観に頭を下げるような生き方はしない

言ってしまえば、お金なんてそんだけのものだ
お金はいつだって手段であって目的であってはならない
お金を目的にしてしまうということは、周りが見えなくなって少なからず自分の人生に影を落とす
その行動の結果として付随する形で付いてきたもの
その一つに過ぎない
社会というキャンパスに描くために必要なもの、その中のひとつ…

天塚右京の恋愛観

恋愛観の項目は,今から2年以上前の記事をコピペして統合したので今とは幾ばくか文体が違うかも

f:id:uchan79:20190605183406p:plain

結婚するなら二回したい

結婚するなら二回したいなァと、俺は思ってる。
往々にして結婚は一回で終えたいと思うものだし、それはもちろん同意する
だがしかし、どうしても譲れない理由があるのである。今日は俺の恋愛観を聞いてくれ!

派手な挙式をしたいとか何とか

俺自身は、派手な挙式をしたいとか、別段そういった欲求はない
むしろ実利性を考えたとき、挙式に金を回すよりは、新婚旅行の方にその配分を回したいもんだ。旅行好きだしね
だか、聞くところによると式を挙げないで結婚をすると、結婚したという実感を得にくいとのことらしい
なるほど確かに、役所に行って婚姻届を出せは婚姻関係を結んだことにはなるが、それはまた紙面上の話
挙式を挙げたという事実が、夫婦関係を意識させるんだろうな……

で、神道式かあるいはキリスト教式か、はたまた披露宴だけ済ませるかなど、きっと挙式スタイルにも商業主義とダイバーシティーの波が押し寄せているのだろうから、様々な形式のものがあるんだろう
だが、女性が悩むのはずばり、ウェディングドレスを着るか白無垢を着るかという問題なんじゃないかと勝手に思ってる
悩むならさ、二回挙式したらいいんだよ!同じ人と、二回。それがいい。晴れの舞台は一回きりだって、誰が決めたんだろう…?

 

今リアタで婚活してるじゃないか

というか、どっちも着たいから二回式を挙げたいなんて言い出す、おしゃまでお茶目な女の子と結婚したい!
ちょっと俺を困らせるくらいの女の子ほうが、一緒にいて刺激をもらえるじゃn。恋人には安定よりは刺激、結婚相手には刺激より安定を求めるというのが一般論だが、俺はやっぱり結婚でも相手には刺激を求めたい
ちなみにこの記事は、俺が有名になった際には即刻削除させてもらうこと此処に宣言する!だってそうだろう?
「結婚するなら何回したい?」って気になった女の子には聞いてみたいもんだね!
おそらくほとんどの女の子は、その真意がわからずに「何言ってるんだろうこの人…」と女子会のネタにでもするのかもしれない。だが、俺は知ってるぞ!
この世界の何処かには、俺と同じ答を持っている女の子がいると!いるんだ、この地球上の何処かに運命の人が…
なんたって世界の半分は女性なんだからな

神的フィーリングを持つ写し鏡のような女の子はどこかに、確かに、いる
しかし!その運命の人と巡り合うには、人生というものはあまりにも短い

短すぎる!!でもどこかにいるんだったら、この発信を通じて成就したい

今俺はリアルタイムで婚活しているようなもんだ

寄せられたコメも移植

f:id:uchan79:20190605183520p:plain

天塚右京の言語観

日本語と英語と

もしも日本のGDPがアメリカを上回ったら、世界中の人が今以上に
日本語を勉強するようになると思う
言語っていうのはそういうもので、個々の国の文化的魅力や経済力をひっくるめた総合力で
そのパワーが決まるもんだと思う
日本で一番選ばれている第二言語が英語なのは、(暫定)世界共通語だからに他ならない
まず第二言語として、“通じる”英語を目指し、そこからさらなる発音の向上を目指すかどうかは
個人の趣味だと思ってる