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ビル・ゲイツ26歳の頃のインタビュー記事!創られた成功神話

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あのビル・ゲイツも26歳のころがあったし
マイクロソフトだって年商70億(!)の時代があった!
今回紹介するのは、1982年の週刊朝日に収録されたビル・ゲイツの独占インタビュー

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決して諦めない不屈の精神はさておいて、マイクロソフト創業物語は実は後付設定だった!?
記事の要旨をまとめてみた!

トラブルメーカーからマイコンソフト市場を牛耳る帝王に

記者:天才少年と呼ばれて久しいですがそのコンピューターとの出会いから

ビル:小学校7年生(12歳) のときから、とにかくイラズラっ子で先生も手に負えないってことで
両親がボクを私立学校に入れたんです
そのころちょどコンピューターの開発時代でうちの学校にも一台導入されていたんです
数学の時間がずっと自習だったものだったので暇さえあればいじくり回してました
GE社製のもので、どうすれば答が出るとか分かり始めると面白くてしょうがなかった
夜も離れないものだから何回も先生に追い出されて、それが3週間ほど続きました

ビル・ゲイツ コンピューターとの出会い

記者:それでコンピューター技師になろうと?
周りがそう言い始めましてね
僕はそれまでクラスのトラブルメーカーだったんだけどやればできるんだって気になって
勉強も頑張りはじめました
そしたらその後は成績はずっとストレートAでしたね

記者:それからコンピューターの世界にひたりっきりなんですか

ビル:ええその後もいい機会に巡り会えましてね
ある会社がコンピューターを使っていて、機械のミスを見つければコンピューター会社に
使用料を支払わなくていい、それで僕たちにミスを見つけてくれないかと持ちかけられたんです
そして後に一緒に会社を作るポール・アレンとかで、引き受けました
でも説明書もないし、連中は情報もくれない
情報を探ろうとゴミ箱をあさってクズを広げて情報を探りました
そしてらシンクタンクのミスだとかだんだんわかるようになってくるんです
周りには助けられて、いろいろ教えてくれたり、マニュアルを貸してくれたり…
この会社は3年で倒産しましたけど、いい勉強になりました

「50歳にもなって息子に“お父さんはプログラマーだよ”なんて言えたもんじゃない」

記者:コンピューター時代の幕開けのころについて聞かせてください

ビル:TRW(電子機器メーカー)に8080というのが導入され、これは汎用機としては最初の名機といっていいでしょうね
それまでPDP8のパスカルなんかを作るのにウンザリしていたので、8080が入るともう夢のようでした
そのころ、TRW社から僕が大学に行けるようあちこちに働きかけており
一方で、ポールはマイクロコンピューターの将来性にきづいて、僕に進学しないように説得するんですよ
僕は決心がつかないんだけど、何となくコンピューター産業はダーティーだと思いこんでたんですよ
50歳にもなって息子に“お父さんはプログラマーだよ”なんて言えたもんじゃない

わが家は銀行家一族で、父は弁護士
両親は僕に、大学はハーバードかイェールかプリンストンの3つしかないと思わせてきたわけなんですから

ビル・ゲイツのハーバード時代 数学かコンピューターかに悩む

記者:そしてハーバードを選んだと

ビル:一種の妥協でね
が、寮生活は最高で、会う人間も極め付きの頭の良さでした
高校時代は簡単に一番になれたけど、ここでは違う
大学入試で数学を満点取る連中が受けるDコースを取ったんですが
クラス50人全員が自分こそ一番になれると思い込んでいたわけです
実は後になって49人が一番になれないと思い知らされるんですが僕もその一人でした
結局、クラスの3番目になれたところでコースを終えたんです
一番は僕のクラスメートで、これが全然勉強しないんですよ
で、将来数学のどの分野に行くのか聞いたら“数学なんかやらんよ。難しいからね”というんですよ
つまり数学をやるなら、教授になるだけでなくこれまで到達した数学を一歩進めないといけない
ガウスとかこれまで生まれた全数学者と戦わないといけないってことですよ
結局彼はハーバードロースクールに進んで今では敏腕弁護士になってます
僕はというと、彼がジョークを言ったんだとばかり思っていて、数学者になろうかコンピューターでいきるか
それとも経済をしようか何をすべきか悩みました

ビル・ゲイツがコンピューター業界に進んだ理由

記者:最終的にコンピューターを選んだのは

ビル:ポールがボストンのハネウェル社でシステムプログラミングを始めたんです
毎週やってきては人工頭脳の素晴らしさ、新しいマイコンの仕組み
IBMを超えるコンピューターを作らないかと喋りまくって僕を洗脳していくんです
前もって答のわかっている質問をインプットしても仕方がない
友人の言葉じゃないですけどそんなことで学部で一番になってもなんてことないんです
その分野に何か貢献しようと思えば自分で質問を考えないとだめだ
コンピューター分野は急成長しつつあったので貢献できる可能性は十分あると
そのころポールは僕を説得できず、イライラしてました
僕の答はこうだったんです
“共同事業をやるならやる
でもはっきりしたビジョンを持ち、人をたくさん雇って、部品をこれ以上に統合させて素晴らしいものを作る”

そして、1974年暮れ、ポピュラーエレクトロニクスの新年号が発売されたんです

記者:キット式パーソナルコンピュータを紹介するという歴史的なやつですね

ビル:いつからパソコン時代に入ったかは線はひけないけど、その12月にMITSからアルテア8800が発売されました
僕はこのアルテア8800からパソコン時代が始まったと見ています
それでポールが雑誌を手に駆け込んでオロオロして
“ホラ見ろ、連中作っちゃったじゃないか。ああもう手遅れだ。俺は一生ボストンで一介のプログラマーとして生きるしかないんだ”ってね

記者:その雑誌を読んだときどう思いましたか

ビル:冷静にならなきゃな、と
ポールもずっと興奮しっぱなしで手を打たないとと言いっぱなし
それで、僕も、じゃあやってみるかとなったわけです
それでMITSに電話をかけ、その機械用にベーシックを作ってあげましょうかと持ちかけました
“是非” “OKじゃあ3週間後に持っていくから”
と話はトントン拍子
ポールが大型コンピュータを使って小型の代用をするシュミレータを作り、僕のほうは中心となるベーシック作りに取り掛かったんです

マイクロソフト 成功の秘密

記者:商売としてのソフトウェアが軌道に乗り始めたのは?

ビル:76年の終わり頃からかようやく金をくれるようになったんです
アリテアが非常にあたり、1万台売ったものですから

記者:マイクロソフト社の成功の秘密は、一つにマイコンだけを対象にしぼっているところにあるでしょう
ところで日本企業との取引の比率は

ビル:1/4です

記者:たいへんな比率ですね。そのうちの主だった6社に聞いてみたところ、自分たちがソフトウェアと開発すると
MSに頼むより5倍もコストがかかる、と
その安く作れるノウハウや人気の秘密についてうかがいたい

ビル:一つはたくさんの会社に売っているということです
現在の顧客は300社以上
百社でも十分ビジネスとしてやっていけます。二十社でも大丈夫でしょう
ハードウェアは一ヶ月もあれば手に入ります
それに対して、良質なソフトウェアは開発に一年以上かかるでしょ
できるだけ評判を得たい会社はそれほど待てない
それからシェアが高い理由としては、僕たちは常に顧客と一緒になってそのハードウェアと
一番マッチするソフトウェアを作っているんです

その方式で開発したのがNECのPC8000用のソフトウェアなんです

記者 他社との競争も激しくなりそうですが、今後のマイコンはどうなっていくでしょう

ビル:ソフトウェアの世界ほど、評判が影響する世界もないでしょう
自動車のようにタイヤを蹴ったりして試すわけにもいかない
ユーザーが買う前にできることは、評判を聞くことだけです
それだけに常に新しいエキサイティングな製品を作る必要がある

記者:最後に個人的なことですが、結婚のご予定は

ビル:時間だないんですよ
アメリカの女性は、日本の女性ほど忍耐強くないですから
この先5年間は予定びっしり
やんなきゃいけないことばかりで…



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